精神医学の世界でもっとも古くから刊行されている雑誌の一つである『神経精神疾患ジャーナル(The Journal of Nervous and Mental Disease)』誌の2007年8月号に、「シュレーバーのうなり声の奇蹟」(*1)と題された論文が掲載されている。
著者グレーム・マーティンはシュレーバーがその著作『ある神経病者の手記』で語っている「奇蹟」を八つ取り出し、コンピューター(ATLAS.ti)を用いたアナライズを行い、八つそれぞれの「奇蹟」がシュレーバーの著作のなかでどれだけの頻度で出現するかを調査している。結果は以下の通りである。
このように、『ある神経病者の手記』における奇蹟の出現頻度で言えば、「うなり声の奇蹟」が最も多く、「脱男性化」の奇蹟はより少ないことが分かる。
フロイトのシュレーバー論である「自伝的に記述されたパラノイア(妄想性痴呆)の一症例に関する精神分析的考察」において議論の中心となっているのは、神=父=フレックシヒ教授という父性的なセリーに対する同性愛的欲望に対する防衛(とその失敗)であり、フロイトはこれをパラノイア精神病の原因とみている。後にラカンはこの同性愛的欲望はパラノイアの原因なのではなく、むしろ《父の名》の排除という構造(の不在)から帰結する症状過程であるとすることによって、精神病の構造的条件としての「父の名の排除」の理論を完成させている。また、フロイトは「脱男性化」の妄想にエディプス・コンプレックス理論における「去勢」の対応物を見て取っている。
しかし、マーティンは上記の統計の結果から、以下のように結論づける。――シュレーバーは、同性愛や神の妻となるための「脱男性化」に苦しんでいたのではない。シュレーバーが最も苦しんでいたのは「うなり声の奇蹟」である。
マーティンの論述は、次第に事件を追う名探偵さながらの筆致となる。マーティンはシュレーバーの「うなり声の奇蹟」をチック障害、とりわけトゥレット症候群と診断するのである。トゥレット症候群とは、シャルコーの弟子であったフランスの神経科医ジル・ド・ラ・トゥレットが記載した疾患であり、運動チックと音声チックを伴い、顔面の素早い動きや一定の動作の繰り返し、叫び声やうなり声、さらには汚言症(罵りや卑猥な内容を不随意に発声する状態。コプロラリア)を特徴としている。この疾患は確かにシュレーバーの症状と一致している。
念のため、シュレーバーがゾンネンシュタインに長期入院していた時期の主治医であったヴェーバー博士による記述と照らし合わせてみよう。「しばしばうまく聞き取れないこともある罵りの言葉(たとえば、「太陽は売女だ」など)を、一本調子に、果てしもなく繰り返し発する」(S.383-384)、「一見してこれは病的だと考えざるをえなくなる精神運動性の症候」(S.385)、「顔面筋肉の痙攣と両手のひどい震え」(S.380)。同様のチック様の症状は、バウマイヤーによって発見されたシュレーバーの入院中のカルテにも記載されている。
ただし、トゥレット症候群は一般的には18歳以下に発症する疾患であり、この点はシュレーバーには当てはまらない。現代の精神医学において広く使われている診断基準DSM IV-TR(『精神障害の診断と統計の手引き』)でも、トゥレット症候群の診断基準のひとつとして、「18歳以下に発症すること」があげられている。この難点に対応するために、マーティンは近年報告されている「成人発症のトゥレット症候群」の議論を持ち出し、シュレーバーのチックはこの成人発症型にあたるとしている。さらには、ストレプトコッカスの感染がトゥレット症候群の発症の原因になるという最近の研究を持ち出して、シュレーバーには肺の感染症があったのではないかと推論している。そして、シュレーバーの「胸部狭窄奇蹟」は、まさにこのストレプトコッカスによる肺炎によるものであったのではないかと結論づけている。
ここまでその内容を概観してきたマーティンの2007年の論文に顕著なように、症例シュレーバーをめぐっては、その著作の内容の分析をもとにして、「パラノイア」という診断を批判する議論が数多く存在している。1980年代にはシュレーバーは「うつ病」であるとする論文(*2)(*3)がいくつか発表されており、シュレーバーの主治医によって下された「パラノイア」という診断を堅持するフロイトへの批判も相次いでいる。
なかでも決定的な議論となったのは1992年に刊行されたロターヌの『シュレーバーを弁護する』(*4)であろう。マウントサイナイ医科大学精神科教授であるロターヌは、前述のマーティンの師にあたる。彼はバウマイヤー(*5)やイスラエルス(*6)の先行研究をもとに、シュレーバーに関する膨大な伝記的事項を強迫的なまでに収集し、シュレーバーはパラノイアではなく「うつ病」であると宣言している。さらにはシュレーバーに関する先行研究のほぼすべてを網羅し、それぞれの内容の紹介とコメントを行っている。これまでのニーダーランド(*7)やシャッツマン(*8)による研究では、父モーリッツ・シュレーバーの厳格にすぎる拷問的教育によって、子シュレーバーの「魂の殺害」が行われたとする議論(子供のパラノイアの原因は父の教育である)が有名になっていたが、ロターヌはさらに二人の主治医フレックシヒとヴェーバーのそれぞれの論文や伝記的事項を徹底的に調べあげた上で、シュレーバーの「魂の殺害」を敢行したのは父だけではなく、当時の精神医学なのだと結論づけている。たとえば、シュレーバーの初期の主治医フレックシヒ教授は、「ヒステリー女性の子宮を摘出することによって治療する」(現実的な去勢!)という内容の論文を書いており、これを読んだシュレーバーが自らも去勢される(脱男性化)と思ったのではないかという推論をおこなっている。後の主治医ヴェーバーにいたっては、病気が寛解したシュレーバーをなおも禁治産者の地位にとどめておくために、何度も執拗に裁判所へ精神鑑定書を送付した悪人として描かれている。一読して分かるように、ロターヌの議論は基本的に反精神医学および反フロイト主義の系譜に属するものである(この著作の裏表紙にサズとグリュンバウムによる推薦文が掲載されていることからもこのことは伺える)。
私たちがこのようなシュレーバー研究を読んで感じるのは、構造論の決定的な不在である。彼らのシュレーバーについての議論は基本的にDSM流の操作的な方法で行われており、個々の疾患の診断基準の症状を満たすか満たさないかということが問題となっている。これはシュレーバーの診断上の問題にとどまらず、シュレーバーの伝記的事項の解釈においても同様の事態が生じていると見てよい。
このようなシュレーバー研究に対して、私たちはラカンの次のような言葉をもって答えることができるだろう。「どんな想像的形成物〔=症状〕も疾患特異的なものではなく、構造における決定因でもなく、〔精神病の〕過程における決定因でもない。」(E546) つまるところ、精神分析では、症状の有無によって診断を行ってはいけないのである。同性愛があるからといってパラノイアだと決め付けるわけにはいかない。なぜなら、同性愛および自分の身体の性別と精神の性別の不一致は、精神病だけではなくヒステリーにも見られる症状だからである。
ラカンの精神病論は「精神病のあらゆる可能な治療の前提となる一つの問題について」と題されているが、この「一つの問題」とは、「父の名」を中心とした構造論の問題である。「父の名」こそが「ふたつの領域〔精神病と神経症〕のあいだの境界に架かる橋」(ibid.)となり、「神経症と精神病の間に求めるべき最低限の相違」(ibid.)を定義するための構造論的な鍵となるのである。ラカンのこのような精神病論の方法は、前述した幾多のシュレーバー研究の操作的な方法とは決定的に異なっている。
一方、現代の精神医学の状況に目を向けるなら、ここでも決定的な変化が生じはじめている。現行のDSM-IV-TRの改定版であるDSM-Vは2011年に発表される予定であり、現在は改定のための作業が進められている。この動きのなかで特筆すべきものは、「精神病を脱構築する[Deconstructing Psychosis]」というDSM改定のための中間報告である。この報告では、統合失調症、双極性障害、分裂感情障害、短期精神病障害、精神病性うつ病などを包括する「全般性精神病障害」の概念が提唱されているが、この「全般性精神病障害」という用語が意味する範囲は、まさにラカンが「精神病」と呼んでいる範囲と同じであると筆者は考えている。また、この中間報告では、これまでDSMで行われてきた操作的診断によってカテゴリーを決定する診断の限界に直面して、カテゴリー診断からディメンジョン診断への移行までもが議論されているのである。
このような現代の状況を考慮に入れるならば、現代においてシュレーバーを論じる際に、もはやシュレーバーの診断が「パラノイア」或いは「うつ病」「トゥレット症候群」なのかという問題にとどまることは許されない。また、DSMを認めるか認めないかという卑近な問題にとどまることも許されないだろう。21世紀のシュレーバー研究には、これらの議論を包括した「全般性精神病障害=精神病の解明」が必要とされている。
本文中で言及したシュレーバーに関する文献は、以下の通りである。
1) Martin G., Schreber's "bellowing miracle": a new content analysis of Daniel Paul Schreber's memoirs of my nervous illness., J Nerv Ment Dis. 2007 Aug;195(8):640-6.
2) Koehler KG., The Schreber case and affective illness: a research diagnostic re-assessment., Psychol Med. 1981 Nov;11(4):689-96.
3) Lipton AA., Was the "nervous illness" of Schreber a case of affective disorder?, Am J Psychiatry. 1984 Oct;141(10):1236-9.
4) Lothane Z., In Defense of Schreber: Soul Murder and Psychiatry, Analytic Press, 1992.
5) Baumeyer F., The Schreber case. Int J Psychoanal. 1956;37:61-74.
6) Israels H., Schreber: Father and Son. Madison (CT): International Universities Press, 1989.
7) Niederland WG., Three notes on the Schreber Case. Psychoanal Q. 1951;28:151-69.
8) Schatzman M., Soul Murder: Persecution in the Family. London: Allen Lane, 1973.
(旧サイトからの転載)
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