まだ68年5月の雰囲気を漂わせていたヴァンセンヌ大学で、ある日、バディウーは、毛沢東の解放戦争時代のエピソードをひとつ話してくれた。

 毛沢東が抗日活動のゲリラ戦を率いていたころ、そこには当時の共産主義の拠りどころであったスターリンのソ連から一人オブザーバーが送られていた。中国 の共産主義運動を指導しようという目論見であったのだ。そのオブザーバーからスターリンにあてられた報告についてバディウーは注目したのだ。

 オブザーバーによると当時毛沢東の軍隊は大混乱を起こしていて、まったく信じられない様相と呈していた。とにかく皆がめいめい好き勝手なことをして、一兵卒が士官を平気で批判したり、通常の軍隊の規律からすると考えられないような状態が起きているということだ。

 だが、このような混乱にもかかわらず結局毛沢東は勝利した。なぜだろう。じつはそこにはスターリンのオブサーバーには理解できないひとつの試みが行われていたのだ。
 つまりすべての者に自由に意見を述べさせるということである。そしてそこでひとつの方向性が醸成されてくるとき、毛沢東は一気にそれを掴み、取り入れ政治的、戦略的路線とした。スターリンの部下はそれを理解することができないのだ。
 これはまさに30年後、文化大革命で毛沢東が取った手法である。だから、文化大革命が始まったときすでに毛はその手法を完全に掌握していたのだ。

 このような方法の根底にあるのは、人間に自由にものを言わせると、つねに問題の核心に話題が向かっていく、つまりそこで真理が生まれるということだ。政治家はその真理を捉えることが重要なのだ。大衆の中で自発的に生まれてきた真理をいかに捉えるかは政治家の手腕にかかっているのだ。

 このことは、精神分析に当てはめて考えると大変理に適っていることがわかる。なぜなら、精神分析で使われる唯一のテクニックである自由連想法は、まさ に、患者の頭の中に浮かんだことをすべて言わせるということなのだからだ。そして、人間に好きなことを自由に言わせれば必ずその人が持っている問題を巡っ て話が進んでいくようになるのだ。これは、精神分析の基本である。

 私はこの精神分析の基本的原則を精神分析のためのグループにも適用できないかと思っている。つまり、サークルの皆さんの各自に自分の思っていることを自 由に発言していただきたいのである。コラムでもよいし、BBSでも、また論文という形でもどのようなものでもよい。そして言う内容は間違ったことであって もよいし、つまらないと思えることでもいい、恥ずかしがらずに言うことは必要である。何かを言うとそれを言ったひとは自分の言ったことに従属するようにな る、そうするとそれにしたがってまた次の言葉が出てくるだろう。これはひとつの作業なのだ。そしてこのような作業を通して各自はさまざまな問題を深め、また同時に自分の水準を高くすることができる。ラカン的な精神分析を導入するためのグループは優秀な人間を必要としている。だだの傍観者では何の意味もない ということを分かっていただきたい。さまざまな場所での自由な発言によって百戦錬磨となったような人たちの集団が成立しなければ、精神分析を導入することはできないだろうからである。それほどこの作業は困難なものなのだ。

(旧サイトからの転載)
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